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公募第48回近代日本美術協会展 作品講評

■講評
 設樂昌弘(Shitara Masahiro)―美術評論家―

第48回近代日本美術協会展 総評

 未曽有のコロナ禍の中で、この時流の生活感情や、同時代性によるソーシャル・シーンの表現は、思ったほど顕著ではなかった。その一方で、ピクチャレスクな風景画は、何時ものように多数を占める。しかしこれは、風景画に癒しを求めた結果とも言える。例えば日本人は、情を丘壑に放って来たし、山河の無常に己れの人生を重ねて来た。これらはモダニズム以前の思考ではあるが、日本人の基層概念であることには間違いない。だから単なる風景画も、何かしら社会と結びつき、この時代の精神を反映して、コロナ終息への祈りや、今日の地球環境問題への、深いメッセージを込めた表現だったと思う。そうしたなか、会を代表して旗織を掲げるのは、渡邉祥行の≪巡礼路の村≫である。その鋭い観照は、自然を見据えながらも、人間探求の風景を描く。そこに表出した生命の力動感は、芸術の現在性を表す、一つの要素といえよう。

 この他、審査の衆目を集めた各賞受賞作品は、当然ここに挙げるべき秀作ではあるが、改めて審査対象外の、幹部作品を含めて見れば、風景画においては天笠勉、小林俊彦、嘉見敏明、丸山今朝三、浅野美杉、二神恵子、河野長廣、岩﨑信也、阿部茂夫、後藤稔、中山以佐夫、磯貝玉惠、大野定俊等の作品が特に心に残った。中でも二神作品のオルフィスム的色使いや、大野作品の雨の風景は、秀逸な表現であった。また抽象の高梨敬子、心象表現の粟嶋美幸、神仏シミュレーショニズムの中川令子、神事を描く山上久子、家族を描く野上悟、アンティミストの尾﨑芳博、ファンシー・ピクチャーの石井真由美、シュルレアリスムの江田恵子、鳥を描いた中村淳子や石澤薫美、階段を描いた樋口奈穂と小川賀子、新人の中村梨栄と長田不岐郎等も注目に値する作品であった。(この他上位受賞作品は下記講評に記す)

 一方昨年も触れたが、やはり小品公募も、会を代表する一つであった。この部門は出品が手頃なだけに、色んな絵が集まり、柳宗悦が説くところの「複合の美」を呈している。近代日本美術協会の強みは、様々なメディウムによる表現の多様性にある。人間はある種、先人の思考の積み重ねで今日まで進化してきた。それ故にこのような多様性は、より良い未来への羅針盤ともなる。だから作品は小品でも、鶴九皐に鳴き声天に聞こゆと、そこに矜持を感じるのである。ここでは一般観覧者による人気作家投票もあるので、講評は作品傾向にのみ止めるが、先ず眼を引くのは、インターネットやカメラアイによる表現領域の拡がりだ。今更ではあるがこうした傾向は、抽象にしろ具象にしろ、新たな可能性への鍵となる。また自然景観や市井の風景は、毎年多様な表現を見せており、会の主流をなすジャンルであった。なかでも、禍々しい心象風景や、夜景と暮色風景に心が引かれた。その他、抽象表現やかわいい系アートは昨年より減り、多くは丹念に書き込まれた画面が印象的であった。ニーチェは「破壊は創造の一部である」というが、コロナで破壊された社会において、こうも創造は尽きないものだと感慨深く思った。雑駁な観想ではあるが、まずは以上を以て総評とする。

 (総評敬称略)

受賞作品講評

■近代日本美術大賞 雨宮正子さんは、一貫してシュルレアリスム絵画を描いている。混沌とした無意識に沈殿する、独自な事象を表す手法であるから、作者との論理的完全一致は難しいが、自分なりに読み解けば、≪変異≫には、下部に描かれた桜と、上部の雲や鳳凰の尾羽のような白い形象から、此岸と彼岸を表現しているものと連想する。また分度器やグラスや陽光は、コロナ禍の現状を表し、画面からはパレイドリア効果も認められ、鑑賞者の想像は更に膨らむのである。岡倉天心は「真の美は、不完全を心の中で完全なものにする人だけが発見することができる」という。解釈の多様性は、実に楽しい。
■内閣総理大臣賞 吉田絵美さんは、パターン・ペインティングの手法をとる。作家は模様に魅せられ、無心な手仕事や、その行為そのものに重点をおき制作して来た。このことは本人にとって、まさに実感のあるリアリティーだったからである。そうしたなか、反復された手技は、オートマティズムのような自由を希求した。今展の≪茫洋≫は、何時もより抑制の効いた表現となり、青く深度ある空間が印象的だ。このような模様による心象表現の絵画化は、鑑賞者にリズムを与えやすい。そのリズムは、美と人とを結ぶものである。作者の美の行為を、確りと味わいたいものである。
■文部科学大臣賞 飯田亮子さんは、カラリストの仕事を展開して来た。その色彩は、五感を以て体感したものである。花の匂い、日溜まりや日陰での陽光、硬さや柔らかさ、街の喧騒や飲食街の味わいまで、その感覚を色彩に置き換え、それを再構成してきたのである。だから、何時も実にエモーショナルな表現となる。今展の≪追憶のトレド≫は、補色を活かしながら、花と古城の対比をメインに、調和を優先した理知的な追求となった。絵画は言語を超えた表現であるが、それ故に、作家にとっては五感の感覚が試される。更なる現代的生活感覚の研鑽が楽しみである。
■東京都知事賞 畠山文野さんの≪ce rêve bleu(青い夢)≫は、マネの≪草上の朝食≫をパスティーシュした作品である。東洋絵画は伝模移写、絵から絵が制作されるが、このマネの絵も、実はマルカントニオ・ライモンディの銅版画≪パリスの審判≫の一部から引用されている。そして、この銅版画は元々ラファエロのデザインに基づくものであったとされ、そのラファエロもまた、古代ローマの浮彫からインスピレーションを受けたとされる。しかしこの絵の良さは、軽妙洒脱のユーモアで、花より団子とワイングラスが捧げらたところであり、マネをアイロニカルではあるが、リスペクトしているところにある。
■クリティック賞 佐野理恵子さんは、雄大な滝と大鷲の≪freedom-飛翔-≫を描いた。この絵を観て思い出したのは、明治27年に『日本風景論』を書いた志賀重昂のことであった。彼は、跌宕という概念を日本美の主張の中心に置いた。跌宕とは、豪放にしてとらえどころのない感じをいうが、彼が日本風景の美として、最も愛したのは台風と火山であった。しかし、跌宕が豪放であるなら、日本で一番大きな鳥である大鷲は、自然界の王、豪放中の豪放を象徴する存在に思え、上昇する大鷲や下降する滝のダイナミックなベクトルもまた豪放と言える。現代の跌宕を改めて考えた一作である。
■クリティック賞 鶴田博昭さんの≪城石≫は石垣の美を示した秀作である。まずはその石のディテールと石工衆の技術、その大きさに思わず目を奪われる。アシンメトリーの大小の石組み、微妙なバランス、そこにも日本の文化があることを改めて知るのである。そして単純な石垣のみを描くことは、やがてはその形象の内面的なものに繋がっていくのである。辻惟雄は芸術の効能として「不思議な世界に遊ばせてくれる、一種の魔法のような効き目をもった芸術、これはとりわけ現代の芸術に求められているものです」と言う。唯々石垣のみの本作は、やはり刮目に値する。
■芸術文化功労賞 加藤さんの≪小豆島の旅≫は、前作の尾道に引き続き、鳥瞰図の連作となっている。山水画には、意境の概念が有り、意と境との融合を理想とした。どう自然の景象を一枚の絵に納めるか、そのために胸中山水だの、散点透視を駆使するが、私が思うにその理想を手っ取り早く叶えるのは、やはり鳥瞰図しかないと思うのである。鳥瞰図なら、名山を遊歴し、その気勢や神秘にふれ、その精髄を画面に表すことが出来る。そうした鳥瞰図の達人は、江戸時代では鍬形蕙齊がいるが、彼のは余りに観念的過ぎる。しかしそのずっと前に、写生的景観を描いた、雪舟の≪天橋立図≫があった。まさに、その雄大な自然描写は圧巻である。そうしたなか、加藤さんの作品は、大地や海を確り描き、そこに息づく人の生活も表現されていて、その楽しい旅行記を、私も宗炳の如く臥遊出来るものであった。これも絵の楽しみの一つである。ところで以前、加藤さんの機知に富んだ作品≪集い≫を観た。これは今の視点とは真逆な発想であった。こうした表現は、日本画ならではのものであって、イメージの源泉の深さを感じた。また次回作が楽しみである。
■渡邉祥行賞 カラーフィールド・ペインティングを開拓したマーク・ロスコは「絵を描くとは、経験を絵にすることでない。それ自体が経験なのだ」と言う。高梨敬子さんもまた、感情が込められた瞑想的な体験を宿す画家の一人である。そのアプローチは、墨象のように行為と表現が合致した、自己そのものの筆致にある。だから、ロスコ同様その単純な表現にあっても、形象は精神的であり、神秘的な効果を生み出すのだ。今作の≪冬の音≫は、くっきりとしたキアロスクーロ技法で、より際立った冬のイメージを表出させた。是非とも鑑賞者は、この絵にある冬の音色を体感して頂きたい。
■選抜作家賞 メディウムは表現するための素材や方法を指す。例えば岩絵具は古典的メディウムといえ、そう考えるとインスタントコーヒーを使用することは、まさに、現代的な行為と言える。さて、藤田誠治さんは専らその特性を活かしたコーヒー画を描いている。その魅力はグリザイユのような効果と、水墨画のような技法、ドローイングの手軽さである。今回掲出の≪夜明け前…メルズーガ大砂丘≫は、明暗差を大胆に活かし、現代的生活感情を表した出色の一枚となった。山は人を瞑想と思索に誘い、海は感覚と知性を新鮮にすると矢内原伊作はいう。コーヒーだけに、アロマ(気品・妙趣)を大切にしたいものである。
■近美未来賞 昨年は、島村由希さんの表現を具象と抽象の融合と述べた。私は自己体験による脳のトップダウン情報が強すぎてか、この絵から多くのインスピレーションを受けるのである。今作は更に、還元主義的アプローチが深化したせいもあって、例えば萩原朔太郎のワンフレーズ「月光の水にひたりて わが身は玻璃のたぐひとなりはてしか…」(月光と海月)とか「ほの白みゆく山の端は みづがねのごとくにしめやかなれども」(夜汽車)などの玻璃やみづがねのシチュエーションを思い浮かべながら、想像の翼が広がり過ぎてしまうのである。本当に抽象はスピリチュアルな刺激を起こすものだ。
■東京都議会議長賞 昨年の樹木の秀作は、記憶に新しいところであるが、山下拓さんは、樹木と建築物をライフワークにしている。多分、このスタイルの方が、感動のアンテナの感度が上がるのだろう。掲出の≪星の降る夜(ミラノ大聖堂)≫は、美しい聖堂ではあるが、着工は14世紀に行われ、完成したのは19世紀初頭だという。それだけに圧倒的存在感を感じる。イタリアには、かつてグランド・ツアーの流行と共に、旅の記念としての景観画ヴェドゥータの逸品も多い。さて、出品作は、真正面に聖堂を捉え、素直に眼福を得る喜びを伝える。93歳の素朴な着眼点が爽やかな一点である。
■東京都議会議長賞 ターナーは、ロマン主義的手法で自然の猛威を描き、コンスタブルは身近な風景を描いて印象派の先駆となる。まずは自然を如何にして捉えるかが、一番の問題である。そうした中、馬越まゆみさんは雄大な暮色に感動して、その思いを具現化した。馬の配置は、恐らくデッサンを元に再構成したものであろう。空にしても馬にしても、変化して動くものを、独自のイメージに表現し直すことは大変なことである。モネも積みわらの絵で、即時性を追い求め苦労したという。だから、強い想念が必要となる。確かに≪暮色≫は、作者の理想の追求となった。
■東京都議会議長賞 小林俊彦さんの≪雪華≫は、渓流の情景を表しているせいか、牡丹雪のような春先のやや湿った雪を感じる。斜光の谷間でも雪が自然のレフ板となり、辺りを仄かに浮き立たせている様が、何とも閑寂で荘厳な味わいを醸し出す。画面はフォトリアリスティックではあるが、これはルミニズム(光輝主義)の可能性を示す表現と言えるかもしれない。また、この題名である雪華に、作者の洒脱な感性も感じた。ところで、雪の名画は結構ある。モネの≪かささぎ≫は名品であり、日本でいうならば蕪村の≪夜色楼台図≫など中々味わい深い一作である。今後の作家に注目したい。
■理事長特別賞 奥田美晴さんの絵には、何時も清澄への憧れが横溢している。今作≪讃≫は、天使の石像を中心に、白い鳩や白い百合など、聖母マリアの持物であるアトリビュートが散りばめられている。それは決して個人の信仰を表す宗教的な意味合いではなく、それを超えた存在としての、純潔や罪なき者を象徴した表現なのである。また背景は暁光の空だろうか、その暗く覆い被さった雲間から一筋の陽射しが、未来の安住を約束しているかのように降り注いでいる。これも一つのコロナ禍の表現である。画面には、奥田さんの清澄な心が宿っている。
■理事長特別賞 オビマリさんの≪さよならから変われないでいる≫を観て、最初に思うことは、その題名から来る意味深なリリシズムと共に、沈潜した過去のイメージである。そう思わせるのは、この染色のようなポーリングの跡や、ブラッシュ・ストロークによる強烈な印象があるからだ。この滴るようなイメージと、速度感のある筆致からは、対象との融合を希求しているかのような、作者の感情が読み取れる。それと相乗する青の色調は、内面の記憶を呼び覚ます。イブ・クラインによれば青は次元を持たない色で特権的な色だという。何よりその透明感は、この絵の魅力を語っている。

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